B L O G

今日の夕方にやっと映画館に観に行った。ヴィムヴェンダースの「パーフェクトデイズ」。

まあ、この監督さんの映画ならきっと心の深層にグイグイ来るのだろうともう覚悟はできていたけれど、いやあ、映画館を出た後もずっとヴェルヴェットのあの歌は頭の中で鳴り続けるし、道ゆく人々や夜景までも全部ムービーの続きのように流れていくし、あの東京都の短い移動距離でもロードムービー風味は健在で、パリテキサスで感じたアメリカなのにそんなに乾いてなくて湿度のある感じや音楽をとにかく最高のタイミングで乗せてくる選曲のセンスやら全て、東京の街に置き換えてさらにセンシティブに準えていく。

最近カセットテープをよく聴いているので、それもなんだか日常に絡まってまだ映画の中にいるような気がしている。

ティントイの初めての稲生座のステージは、大盛況にて終了しました。その日1曲カバー曲をやったんですが、終演後に、とても意外ですごく良かったという意見があって感激しました。


TIN TOY MELODIES LIVE 稲生座 2023.10.15

Hiroya:EG,Vo

Paisen:Bass

George:Cajon

Kashu:Key

余韻に浸ってるうちに、楽しい話は やってくるもので、マッシュレコーズのライブをご一緒してとてもいい感じだったマーマレード402とティントイの2マンが決定。こちらもめっちゃ楽しみです。

 10/15日@高円寺 稲生座

 open 19:00 start 19:30

 出演:Marmalade402

   ティン・トイ・メロディーズ

Charge:1650円+ドリンク

素晴らしい老舗箱で、GoodMusicをお届けいたします🎵

4回目にして、やっときちんと告知できるのがとっても嬉しくって・・・

皆さま、素敵すぎるいろんなメンバーに逢いに来てください。

何かきっといいことがあると思うんだ。

「いつものセンチな夕暮れに Vol.4」

⚫︎日時/2023年 9月2日(土)

⚫︎会場/神楽坂マッシュレコーズ

⚫︎開場/15:30 開演/16:00

⚫︎Charge/2000円+1ドリンク

⚫︎出演

 マッチボックス

 トレジャーズ

 マーマレード402

 夜風レコード

 古那屋錦五郎一座

 Dee Dee

 ティン・トイ・メロディーズ


どうぞよろしくお願いします。

色々なご縁も重なって、おけいさんこと四角佳子さんが10月に南青山マンダラで開催するライブの告知などのお手伝いをしています。大好きなキーボードプレーヤーの柳田ヒロさんがこのライブメンバーをアレンジしてくれました。あの伝説のベーシスト後藤次利さんもメンバーに。このスペシャルでプレミアムなショーを、ぜひお見逃しなく!

「Hobo’s Cassette Presents」

OKEI’s LIVE AUTUMN PREMIUM

四角佳子 ~ささやかでも愛の歌~

出 演:四角佳子/柳田ヒロ/後藤次利/古橋一晃/国場幸孝

2023年10月7日( 土) 開場:17:00 開演:18:00

会 場:南青山MANDALA

料 金:¥ 6,000(ドリンク別)


お名前・ご予約人数・連絡先を明記の上、ご予約をお願いいたします。

返信メールを差し上げます。


⚫︎メール予約/ホーボーズ ・カセット

hoboscassette@outlook.jp


⚫︎ネット予約/四角佳子Facebookのメッセージ

https://www.facebook.com/keikoyosumi

※コメント欄では無くメッセージへお願いします。


南青山マンダラ

https://mandala.gr.jp/aoyama/contact/reserve/


⚫︎電話予約/南青山マンダラ:03-5474-0411

カラフルな音のおもちゃ箱。元気です。という人をくったLPのタイトルのレーべルは、オデッセイ。それは、全てが、巧妙にして、奇妙に仕組まれた罠の様に、1972年の僕等の前に現われた。

僕はそのカードを、少しためらいがちにひいた。一枚目のカードにまさか、ジョーカーはいないであろう、用心深く、レコードに針を落とす。ポータブル電蓄からはみだした30cmのお皿が針を擦り、最初の音が飛び出してきた。いきなり針が跳んだのか、と思ったほどの、きわどいタイミングの音の立ち上がり、つまり、8ビートのシンコペーション、スネアの最初の一打の前後にベードラとシンバルがずれている、最初のタイミングでブルースハープは、Dの音でずっと引っぱっていく、その間に、松任谷節のハモンドオルガンが、面白いように上下にからんでいく。こんな愉快な音の組み合わせのイントロが終わると、ぼやぼやしてんじゃないよといいたげな、ぶっきらぼうなボーカルが聞こえてくる。

僕を忘れた頃に君を忘れられない そんな僕の手紙が着く・・・

な、なに、どういう事??「先生、意味がよくわかりませ~ん!」という気分で、聴き進み、次の、

曇りガラスの窓を叩いて 君の時計をとめてみたい・・・

このワンフレーズの、何にも代え難いみずみずしさに、出会った時に、僕は何かに向かって歩きはじめたのかもしれない。それは、人生を変える、というほど、大げさではなく、もっと軽やかに、流れるような自分自身が自然であることへの憧憬と、少しばかりの背伸びと、ワンダーランドの入り口の様な不思議な誘惑だった。音を編む錬金術士たちは、僕等をいとも簡単に魔法にかけて、以後25年以上もその魔法からとけない。ああ、僕はいきなりジョーカーを引き当てたのだ。

拓郎と僕と、ラジオから聴こえるあのメロディー。いろんな人達が、いつも、輝いている。何気ない日々が、ほろ苦い。僕たちのラジオデイズへようこそ!


「伽草子を聴いた日」

これはまだインターネットも普及していない頃、吉田拓郎のことを少しづつアップしていて、多くの反響をいただいたページだったんですが、ある時期を境にクローズしたままになっていました。この度のリニューアルで全編復活する事にしました。長い文章ですがよろしければお付き合い下さい。少しづつ読んでいただければ幸いです。そして是非「ホーボーズ・カセット」のページフォローもお願いします。


●Vol.1

1973年。僕は毎週土曜日の夜だけが待ちどおしかった。その時間になると、心がそわそわして、ラジオのスイッチを入れた。

そしていつものテーマソングが始まる。

♪振り返ってみるのもいいさ~ 道草くうのもいいさ~

僕らの旅は果てしなく続く・・・

「気ままに歌を歌えたら、気ままに音楽を聴けたら、気ままな君の時間なのです。拓郎の気ままな世界、やってくれるのは、富士重工というところなのです!」

カセットのスイッチを入れてチューニングをノイズのないように会わせると僕は一つの音だって漏らさぬように、ラジオにかじりついてた。

「こんばんは!たくろうでーす。今日は伽草子というLPのデモテープをもってきました。」

音のおもちゃ箱みたいに、毎週、いろんな企画で飽きさせず、拓郎も本当に楽しそうだ。

そして、5月の半ば頃、金沢事件があって、急遽、番組は打ち切りになる。(不起訴になってもTBSは知らん顔だった!)僕らは貴重な情報源を失い、町をどこまでも彷徨い続け、日増しに目つきが悪くなり、ラジオをコンクリートの壁に叩き付け.....というのは少し、大げさだけど、とにかく伽草子のLPが発売されないのでは?という噂が流れ始め、気が気じゃなかった。

番組の中でも言ってたけれど、マスターテープが紛失して体調の悪い日に再度録りなおしたり、レコーディングメンバーに新六文銭のメンバーをクレジットしていたり、早く聴きたいのに~もお~ってな感じでね。

待ちくたびれて、いよいよ6月1日の発売日を迎える。授業を終えると、予約してあったレコード店にとんでいき、ポスターとレコードを大事に小脇に抱え、家まで、とんで帰る。

ジャケットを眺めながら、レコードに針を落とすと、1曲目の「からっ風のブルース」が流れ始めた。



●Vol.2

「からっ風のブルース」

新六文銭のコンサートで聞いたのとアレンジが全然違ってる。でもかっこいいぞ!この曲もそうだけど、このアルバムの中の岡本おさみの歌詞は男と女の、ある行為に固執していて、(セックスの匂いがぷんぷんする言葉が並んでるからね)その感じが、今思うと、とっても「ロック」なんだよね!

桑田佳祐が「吉田拓郎の唄」の中で、「おまえの書いた歌は俺を悪くさせた」というのはそうゆう感覚なんじゃないかと思うんだ。こんなストレートな、くどき文句で、勝負できる男になれたらいいなと大いなる勘違いをして、ドキドキしながら2曲目に・・・

「伽草子」

こんなに優しい歌を、僕はこれ以外に知らない。言葉のえらび方、旋律の奇麗さ、アレンジ、拓郎のヴォーカルの力の抜けた、味わいの深さ、もう、何も足せないし、何もひけない、(ちょっと秋山晶はいってるけど)もう、生涯の愛聴曲にしようと、心に決めたんだい!この曲に関してはオリジナルバージョンがライヴテイクをはるかにしのいでる。(この曲の作詞者、白石ありすが、この詞を拓郎に渡すとき、他にも詞があって、拓郎はそれを受け取らず、後に山平和彦が曲をつけたのが「たまねぎ」「どうやら私は街が好きらしい」といった歌なのです。)

「蒼い夏」「風邪」とチャーミングなアコースティックギターが冴え渡り、

「長い雨の後に」の厳かなピアノのイントロが始まる頃には、正座してたかもしれない・・・  

   悲しみを水とともに飲みこんで 笑顔になる・・・

まるで金沢の事で傷ついた事への「癒しの歌」であるかのような印象を受けるけど、レコーディングした時点では事件があったわけじゃないので、夫婦感のどうしようもない、いさかいの後の歌だと気がつく。

でもね、このアルバムが発売されたその日、拓郎は拘置されていたのだから、僕らは、知らず知らず、事件をオーバーラップしてしまって、この歌にすごい意味を感じていたのも事実だね。たしかこの曲も拓郎がベストテイクだと思ったマスターテープの紛失した中の1曲だと、ラジオで言ってたし、もともと、声がひっくりかえるギリギリのキーのところで歌っているのでこの曲の録り直しはすごいエネルギーだっただろうと察しはつくけれど。で、風邪をひいて体調のよくない日に録りなおしたみたいで、鬼気迫る感があって、僕はこの曲を聴くときはいつも、背筋がピンと伸びてしまう。

それから、「暑中見舞い」のポップさ、「ビートルズが教えてくれた」のカッコよさ、「制服」の弾き語りの枯れたギターの音、「話してはいけない」のシンプルなハーモニー・・・

ラジオで聞いたデモテイクや新六文銭のテイクとは違う、完成された音がやっと聴けた日。

1973年、6月1日、留置場にいるヒーローの、メッセージを模索しながら、レコードを何度もひっくり返して、繰り返し繰り返し聴いた、あの日。

まさか、その二日後、そのヒーローがコンサートをやるなんて事は誰も考えてなかっただろうね。そして、その6月3日、僕らは夜中まで、またラジオの前にしがみつくことになる。



●Vol.3

伽草子のLPの興奮も覚めやらぬ、6月2日、土曜日、音楽好きが集まって、校庭の片隅で、トランジスタラジオを聞いている、ちょっと勘違いも甚だしい、そんな、なんでもない午後に、拓郎、釈放のニュースを知る。

10日あまりの拘置の後、マスコミのバッシングも絶頂の頃、一人のヒーローが、たったの10日で、傷だらけになって。カメラマンのレンズの砲列の中を、白いシャツを着て、少し髭を伸ばして、眩しそうに少しだけ、背中を丸めて、その、傷だらけの心を庇うように。

風邪で、6月3日に延期になったコンサートは、予定通り行なう、と発表される。チケットがあれば、飛んでいきたい。今からじゃ、どうにもならない。拓郎の声が、早く聴きたいのに。どうしよう・・・

2つ先輩のレイ子さんに相談してみよう、彼女なら名案を思いつくかも。なんせ、レイ子さんは5月24日、拓郎逮捕のニュースを聞いた朝、わざわざ、2階も下の、僕のクラスに飛んできて、泣きそうな顔で、

「私、ぜったいおかしいと思う!ね!キミもそう思うでしょ、だから署名 集めて、送ろうと思うの。協力してくれるわね。」なんて、眩しい制服姿でおっしゃるので、僕としては、なんの署名なのか、それを何処に送るつもりなのか、聞いてみたいような、聞くと張り倒されそうな、取り敢えずその迫力だけは、十二分に評価できるものがあるな、と密かに頼もしく感じていたし、制服姿もちょっとイケテルし、胸元の福よかな感じなんか、筆舌に尽くし難いし、勇気を出して、2学年、年上のクラスを目指して歩き出したんですね。するとですね、いくら放課後とはいえ、おっそろしく場違いな空間に入り込んでしまったんじゃないか、と後込みするほど、二つ上のおにーさんやおねーさんがたは、とってもおとなっぽくみえました~~ウフフ~と、まあ、シノラーならずとも腰がひけてるわけですね。

もう、男なのに髪の毛長いのは、いるし、フォークギター弾きながら、おねーさんと楽しそうなのはいるし、昼休みでもないのに、弁当食ってるのもいらっしゃいます~~もう~こまっちゃいます~~グフフ~というような愛想笑いを浮かべながら、うるわしのレイ子先輩を探すのですが、極度な緊張を強いられているために、足取りもおぼつかず、お髭の生えかかった、おにーさんの足など踏んづけた上に、物凄い顔で睨まれて、身動き取れなくなって、ニッチもサッチもいかないよー、なんて死語を発する余裕もなく、ただただ、うろたえておりますと「あら、わたしに用事?」とまさに、掃きダメに鶴の、華麗なる美声が聞こえた時には、胸に熱いものがこみあげてくるまで、たいして時間はかからなかったね。ああ、僕の青春の恋と歌の旅が始まるんだな。

「せ、せ、先輩、拓郎のコンサート、やるみたいなんですけど。チケットもないしー、行けるわけもないし、どうしようかなー。」と、無責任な質問を一方的に切り出すと、レイ子先輩は、優しく僕に微笑みかけた後、(ここは、脚色じゃないからね、本当に微笑んだんだからね。)

「ラジオでやるんじゃないかな、カメさんのオールナイトニッポン!」

カメさん!?オールナイト?!なんじゃそりゃ?

「せんぱい、なんですかー?それー...」という僕の発言に、

「じゃ、今日は一緒に帰ろうか?」と言うレスがつき、地下鉄の駅までの帰り道を、ちょっと背伸びしてカッコつけながらも僕は、胸が高なりっぱなしで歩き、「カメさんのオールナイト」が、深夜放送だということに気がつくのにも、実は、かなり時間を要したのです。

そして、いよいよ6月3日、日曜日。神田共立講堂。ヒーローは、帰ってきた。その夜、D・J のカメさんは、興奮した様子でコンサートの様子を伝え、感動の実況録音を、僕らもついに聴くことができた。

そのコンサートは「今日までそして明日から」で、幕をあける。



●Vol.4

1973年6月3日、神田共立講堂。 

 ピアノの伴奏で「今日までそして明日から」が始まり、間奏の時、

「えー、23日か24日に、はっきり覚えてませんが、突然警察の人が来まして、突然、逮捕されて、突然、手錠を掛けられて、突然、金沢に連れてかれて、突然、留置場に放り込まれまして・・・決して人間の住むとこじゃ無いと思います。それにもまして、警察の人は、相手方のことはいろいろ調べたにもかかわらず、僕の事は何も調べずに、僕に手錠を掛けて、金沢に連れて行ったという、警察の横暴さにすごく腹が立っているわけです。それで、警察をすごい訴えたいという気持ちはあるのですが・・・先月、あの、ここでリサイタルをやる予定でいたわけですけども、病気で、ぶっ倒れるっていうか、まあそんな感じで、国立病院に入院しまして、それで、リサイタルをできませんでした、それでまた、今度みたいな事件を起こして、皆さんにすごく迷惑かけたことを心からお詫びします。」

と、神妙な感じで、MCが入り、会場全体に拍手が沸き起こる。

後にも先にも、拓郎がこの事件の事を真面目に語ったのは、この時だけじゃなかっただろうか?

「練習なんかも全然してない、なんせ今日東京に帰ってきたばっかりで・・・うまくいくかどうか分からないけれども、最後までやってみたいと思います。」

と続き、曲はアップテンポして終わり、若干のMCをはさみながら

「また会おう」「暑中見舞い」「ビートルズが教えてくれた」

「からっ風のブルース」と、LP伽草子の曲を中心に進んでゆく。

ここで、遠藤賢司、ムッシュが、応援に駆けつけ、拓郎をからかうと、会場は爆笑となり、アットホームな雰囲気のまま、弾き語りで

「蒼い夏」「祭りの後」「ある雨の日の情景」「制服」と続く。いつものように軽妙なMCで、留置場ネタも飛び出し、会場は笑いの渦。

再びバンドが加わり、おケイ登場、照れ臭そうに、「春の風が吹いていたら」小室さんと「伽草子」、猫とラニアルズも登場して「地下鉄に乗って」

後は、「おきざりにした悲しみは」「長い雨の後に」「新しい朝」「人間なんて」と一気に。

この日の拓郎は、ノーリハの上に、音程もボロボロで、声も荒れていたし、おまけに歌詞カードを手に持って、ハンドマイクを握り締め、気合いだけで歌いきった感じでね。でも、その何も飾らない姿で、ファンの前に現われたことが、一番のメッセージだったし、魂の叫びにも似た彼の声を、僕らは十分に感じることができた。

カメさんは、自分で会場にデッキを持ち込んで録音したので、音が悪いけどそれでもこの音を届けることが自分の使命だ、というようなことを、熱く語っていた。そんなカメさんは、きっといい人なんだろうなと、思う。

ラジオの前の僕はといえば、「長い雨の後に」が始まると、やっぱり背筋をピンと伸ばしていたし、一昨日のLP の感動とは少し違う、荒削りなサウンドに遭遇し、いろんな形で聴くことができた、伽草子というアルバムの不思議な魅力をいつまでも胸に抱きしめながら、レイ子先輩の優しい笑顔の夢なんかみながら、眠りにつくわけです。

結局、拓郎側は逆告訴せず、この後、拓郎も事件の詳細については一切語らず、むしろ、自分の音楽で、答えを出すんだという姿勢を貫いて行く。

'74、春のツアーで、愛奴をバックに演奏された「忘れかけた一日」という歌で、この事に触れるまで、人の噂も七十五日、それは確かに、忘れ去られていく。

そして、その半年後、中野サンプラザで二日間に及ぶ、熱いコンサートを展開、新しいLPはライブ録音で発売されるという。



補足をしておきます。拓郎が釈放された6月2日、記者会見はありませんでした。しかし共立講堂のコンサートが行なわれる直前、6月3日、午後一時、当時六本木のCBSソニー本社で拓郎は記者会見をしています。大学生の傷害については事実を認め、反省していると答え、強姦致傷、監禁については、誤解がある部分をきちんと説明し、おケイのお腹の子供を気づかったり留置場で作った歌のことを語っています。金沢事件に関しては、

石原信一/挽歌を撃て、山本コータロー/誰も知らなかった吉田拓郎

あたりに、詳しいので、御参考のほど。

それから、拓郎の気ままな世界は、73年4.14の放送を境に、土曜日から日曜日に時間帯が移動しています。だから、事件で番組が打ち切られた時点では、日曜日の放送になっていました。



●Vol.5

その日も11時30分、いつものようにラジオのスイッチを入れる。

♪何故か悲しい夜だから~ 誰か話かけて欲しい~ でっかい地球と~ でっかい夜が~ ドアの外に見える~

こんばんわー!たくろうでーす。「ヴァイタリスフォークヴィレッジ」!今日も始まりまーす!

という元気な声は、もう、聴こえてこない。

いつの頃からか、提供タイトルがライオンに変わっていて、パーソナリティーもムッシュになっていた。「ライオンフォークヴィレッジ」!?うーん、馴染まないなあ。フォークビレッジと言えば、ヴァイタリスって相場は決まってんじゃん!べらぼーめえ!責任者出てこい!ムッシュはキャリアも長いし、話だってうまいし、音楽の知識だって、そりゃー、拓郎より豊富だけどさ、あのダミ声が聞こえてこないのは、やっぱり少し、物足りねーよー、拓郎、だせよー、と、駄々をこねながらも、ラジオを聞くのは習慣だったから、その日も、

「ロバート・オーウェンの教え」を簡潔に説明し、感想を述べなさい。

という、歴史に残るほど、やる気の湧かない宿題を前に、あくびを連発しながら、いつものようにラジオの音に耳を傾けていた。「ライオンフォークヴィレッジ」のテーマソングがフェイドアウトすると、

「今週は、拓郎の先日の中野サンプラザのライブの模様をお送りします。」

ムッシュのMC。その予期せぬ出来事に、眠りかかっていた目は血走り、目の前の夜食のラーメンをひっくり返し、その日の宿題は取り敢えず全部、無かったことにしてもらい、ムッシュをすっかり見直したあげく、ライオンフォークヴィレッジ!もう最高!やっぱ、ライオンですね、ハミガキ使わしてもらってますよ!おかげで歯は真っ白、もう、ライオンがなくちゃ、日本の夜明けはないです~と、まるでどこかの広告代理店に勤務してる人みたいに、態度を急変させ、ラジオにしがみついているわけです。

会場に行けなかったので、ラジオだけが、たよりだった。考えてみれば、僕は、伝説のライヴには、一度も行ってない。(唯一行った篠島は、途中から、寝ています。信じられないです~)

だからいつもラジオが大事な情報基地だった。

ムッシュのフォークヴィレッジの後は、「あおい君とさとう君」、(月曜日の星占いは名物コーナーだったね。)それから、かぜ耕士の「たむたむたいむ」と、忙しいんだな、深夜は。

ロバート・オーウェンさんの教えも空しく、完全にラジオに気をとられていますね。

さて、CMがあけると、いきなり、あの「春だったね'73」のブラスセクションの音がけたたましく始まる。



●Vol.6

オープニングは、おなじみのナンバーのメドレーで始まる。

レコードでは「春だったね'73」「マークII'73」の2曲でメドレーが終わったみたいに、編集されてるけど、「せんこう花火」や「ともだち」も演奏されていて、これが、涙が出るほどかっこいい!むしろこの2曲のほうをレコードにして欲しかったと、今でも、思ってる。それにしても、ブラスセッションとストリングスを入れたライヴなんて、すごく贅沢だし、そしてなによりも、意表をついている。'96のツアーでほぼ完全な形で蘇った、'73タイプのアレンジの「マークII」にしろ、やっぱり管楽器特有の、あのバリっとした、空気の震動で体が攻めたてられるような、あの感じがなく、やっぱり生楽器の迫力は、デジタルでは再現できないんだなって痛感したしね。拓郎自身もオープニングは、緊張感と、気合いが入りすぎたせいで、初日の「春だったね'73」は歌詞が滅茶苦茶だったという。

ラジオではそんなエピソードと、LPに収録されなかった「襟裳岬」「子供に」「新しい朝」や、ひき語りで、いくらかの曲も聴くことができた。

でも、やっぱり、レコードの順に、いこう。

「君去りし後」

新六文銭の時にもやっていたけど、歌詞が少し変わっている。コーラスのクレジットはウイルビーズとある。風邪がうつりそうな、妙なグループ名では、ある。この中にからっ風のおネエちゃん(あの、色っぽい声の)がいるんじゃないかと、実は疑っている。

「君が好き」

この歌は、「リンゴ」の続編のように感じているのだけれど、それはおそらくバネのきしむ喫茶店のせいだろうね。そう、薄汚れた喫茶店のバネの壊れた椅子。

「都万の秋」

伽草子と1、2位を争う、愛聴曲なのです。きれいなメロディーにことばがピタッとマッチしているし(このアルバムの中で、この曲は、比較的、字余りソングじゃないって所も見逃せない)、都万のおかみさん達の日常の風景をただ、淡々と切り取っているだけなのに、旅人の優しい、温かい視点と、人なつっこさや、テレまでもが、伝わってくる。きっとカメラマンが写真を撮るように、岡本おさみ氏はこの詞を書いたんだろう。無駄なものを全て削ぎ落とした言葉には、何にも変え難い説得力がある。そして、僕らは充分にその「絵」を感じることができる。ある人はモノクロームの映像をイメージし、ある人は、総天然色で、感じるのかもしれない。旅の宿、落陽、襟裳岬、竜飛崎、赤い灯台、蛍の河、と、旅の歌シリーズは興味が尽きない。

「むなしさだけがあった」

気ままな世界でよく小室さんとやってた頃には、「その日その日」というタイトルがついていて、メロディーもかなり違うものだった。

「落陽」「雨が空から降れば」と名曲が続き、

「こうき心'73」

この曲になると僕はいつも、すぐに針をとばして、次の曲に送っていた。でも、ある必然があって、この曲はこのアルバムに入っているのだ、と最近気がついた事がある。それは、つまり、このアルバム全体を支配してる、大きなテーマを、たまたま、この曲が持ち合わせている、ということ。「今住んでる街が、心の故郷だったとしても、街を出て、汽車に乗ろう」と。そして、旅に出る。浪漫があって、放浪がある。「望みを捨てろ」と絶叫するパラドックスとして、この歌は存在し、この歌のアイロニーとして「むなしさだけがあった」や、「ひらひら」は、ある。つまり、伽草子の、「男と女」というコンセプトとは少し趣を異にしている。

でもやっぱり、とばして、「野の仏」にきてしまう。で、「晩餐」「ひらひら」「望みを捨てろ」、と最後まで一気に聞く。73年の暮れと、74年のお正月は、いつも夜更かしして、このアルバムを聞いていた。

ロバート・オーウェンに、僕らが手を焼いている頃、海外のアーティスト達と、拓郎の間で、壮大な、本当に歴史に残りそうな、プロジェクトが進行していた。



●Vol.7

ザ・バンドと、拓郎。そんな、夢の様なセッションが実現していたかもしれない。

ライヴ'73で、復活した、僕らのヒーローは、次はあのザ・バンドとのコンサートをすることで、大いなる飛翔を約束されていたはずだった。

ところが、もう一人、「偉大なる復活」を賭けて、ザ・バンドをかっさらっていった男がいる。

ボブ・ディラン。

僕らのヒーローのそのまた、ヒーローだから、かなり偉い人である。長い間ライヴ活動から遠ざかり、人前での演奏をしていなかった彼が、74年1月、アルバム「プラネット・ウェイヴズ」の発表を機に、よりにもよってこんな時期に、ライヴ活動を開始するとは、さすがのユイの後藤社長も気がつかなかったのでしょう。契約直前までいった話がキャンセルされ、拓郎も2月、ロスに渡り、複雑な心境でそのコンサートを、観たという。

そして、そのライヴに触発された、1974年の吉田拓郎の、終わりなき疾走が始まる。

「今度の春の拓郎のツアー、一緒に行く?」

レイ子さんが、突然、聞く。な、なんて大胆な人なんだ、でもここで慌ててはいけない、からっ風みたいに、大胆に、男らしく、と。即答するとシッポふってるみたいでかっこ悪いから、少し焦らしちゃおっと。

「部活とかあるし、どうしようかな。」

「・・・」

あれ、応答がない!ふふ~ん、なるほど、花も恥じらう乙女心って奴だね。でもここで、甘い顔をしちゃいけないな、からっ風、からっ風と。あえて僕も何もいわず、校庭の向こうのポプラ並木なんか、遠い目で見ちゃったりなんかして、しばしの沈黙の後、

「じゃあ、F君と、Yちゃんと、あ、K君もいたな、四人だけね。」

何?!四人って、二人きりで、拓郎のコンサート、ラブラブ~!ってことじゃなかったの!しかも、四人って、俺の分はどうなってんの?ちょっと待てよ、落ち着け、こういう場合は、からっ風の法則はあてはまらないんだ、こういうときのために、フ、フ、フ・・・と意味不明の不敵の笑みを浮かべ、

「でも、生で見ると、ギターの指の位置とか解るかもしれないし・・・」

とギター少年流の切り口で、もっともらしい理由をでっち上げ、

「行ってみようかな・・・」と、ボソっと言ったときには、もう先輩の姿はなく、「風のようなお方・・・」と、後姿を見送るのが精一杯なのでした。

結局、後日あらためて、レイ子さんにチケットをお願いしたんだけど、当日、会場に行くと、タイミングがずれた、僕の席だけ、右っ側にポツンと離れていて、レイ子さんとF君とYさんとK君は真ん中の方で楽しそうに喋っています。「ケ!こんな位置じゃ、指の動きなんか見えるわけねぇやい。」と右端の人は、完全にいじけています。レイ子さんの前で妙にカッコつけて、ポプラ並木を見ている間に、このザマです。

ところが、です・・・

ステージの幕が開いたその瞬間、全ては、神様の悪戯であったかのような光景に遭遇するのです。

何故かヒーローは、僕の席の目の前の方に、

中央から右の位置にずれて立っているのです。

目を疑ったのは、僕だけではなく、レイ子さんとF君とYちゃんとK君をはじめ、会場にいる多くの人が、そのアンバランスな主役の位置に一瞬、たじろいだはずです。

それも実は、あの偉大なる、ボブ・ディランのおかげだったのです。そう、2月、拓郎がロスで見たステージが、そうだったんだね!さすがにヒーローの、ヒーローともなると立ち位置からして、違う。脱帽だね。でもこの日の拓郎は帽子をかぶってる。

「おろかなるひとりごと」が始まっています。下目使いに唇をちょっと尖らせ、マイクを中心に頭を振り、言葉を噛みしめながら歌っています。歌詞カードがあるのに、サングラスをかけてます。2~3行おきにちらっと客席を見ます。とにかくもう、めちゃくちゃ、かっこいいです。目の前に、ヒーローがいます。指の動きもよく解ります。カールコードでアンプに繋いだ、(カールコードだぜ!)フェンダーテレキャスターのシングルコイルの音がジャリ~ンと鳴り響く。拓郎の弾くエレキギターのタッチが一番よく聞き取れたのは、このツアーじゃないかと思う。浜田省吾という若いドラマーが次の曲のカウントを始めると、青山徹と町支寛二のツインリードが、サク裂する、そのステージは、僕にとっては、ザ・バンドよりも、全然イカシテたんだよ、嘘じゃない。



●Vol.8

右端のヒーローは、歌い続ける。

愛奴をバックにした「親切」は、今まで聴いたどのバージョンよりもさりげなく、その分、説得力を増していたし、ひき語りの「もうすぐ帰るよ」は、後にシングル盤で発表されたテイクに比べて、拓郎節が随所に感じられて、味わい深いものがある。「これからは君の世代だ」「いつの間にか通りすぎて」といった、レコードに収録されていない曲もある。そして、僕らが度肝を抜かれる瞬間がやってくる。

それは、「夏休み」の後、突然、始まった。


  目頭が熱くなったんだけれど 人前で今さら涙も無いじゃないかと

  ああ 僕とゆう奴も随分変わったものだ

  悲しい雲が青い空を覆いつくして 電話のベルがけたたましく鳴り響く

  ああ 二日酔いの僕は虚ろに目を醒ましたんだ 忘れかけた一日


1番の歌詞はこんな内容で始まり、三人連れの刑事がやって来てから突然釈放されるまでの、10日間あまりの事、そして、


  そんなに俺が嫌いかマスコミさんよ 騒げば騒ぐほど傷のなすり合いだ

  評論家など引っぱりだして正義の話などおかしいよ 

  人はいつも悲しい話を飾りたがる それにしても忘れることに

  慣れちまいすぎて

  今はもう笑い話しだね 正義の味方みたいな奴が沢山出てきたっけ....


と、9番まで続く、10分にも及ぶ長編「忘れかけた一日」。

これが、あの事件の事を歌った曲だということをオーディエンスが気づくまで、実は少し、間があった。イントロは愛奴のツインリードで乗りのいいロックを感じさせ、シャウトして歌うそのメッセージは、そう、あの、「イメージの詩」さえも超える勢いで聴衆の胸に響いただろう。右端の僕は、右端のヒーローが発射する物凄いオーラの光線を浴びて、背筋に電流が走るような感動の中にいる。最初、乗りのいい8ビートに手拍子を始めた観客さえも、その手を止めて歌詞に聴き入っている。曲の最後では、目頭を押さえている人もいたという。(これは、後でレイ子先輩にきいたんだけど。僕は勿論、客席に目をやる余裕なんてなかったんだ。)でも、そこには悲壮感など微塵もない。そのとき確かに傷ついたヒーローが、全てをふっ切って、あの事はもうこれで終わり、とばかり、超然と、歌っている。僕はこの、「忘れかけた一日」を聴いた日を、忘れない。

客席を感動の嵐に巻き込んだまま、最後は「イメージの詩」で幕を閉じる。

それから、鳴り止まないアンコールに応えて始まった、「悲しいのは」。この曲も、後に、アルバムに収録されたけど、このツアーのシンプルな演奏のイメージがあまりにも強力だったんで、レコードになったバージョンを聴いて、ピンとこなかった人も多かっただろうね。

全20曲、最初から最後まで、ヒーローの姿に釘付けだった。こんな、すごいステージを、右端で見る事ができた偶然をレイ子先輩に自慢しながら、帰り道、「今度も又、来ようね。」(できれば、二人きりで、隣の席で。)と固く約束を交し、じゃあまたね。と手を振って、地下鉄に乗って、上機嫌で、家に帰る。



●Vol.9

1974年、8月19日、ニューアルバムのレコーディングを開始した拓郎は、堰を切ったように動き始める。

9月30日、拓郎はオールナイトニッポンの月曜日のパーソナリティーとしてD・J としても返り咲き、10月4日にレコーディングを終えると、10月21日、帯広市民会館を皮切りに、春と同じメンバーで秋のツアーが始まる。

そして、その新譜を、真夜中に、聴く。僕らの夜更かしも、果てしなく続く。

「今はまだ人生を語らず」拓郎はこのアルバムが発売になる前に、自ら、曲への思い入れやレコーディングのエピソードを交えながら、ミックスダウンを終えたばかりの出来たてのテープをラジオでかけている。その放送では、拓郎はすごくハイテンションで、アルバム収録予定のほとんど全曲を紹介し、この作品の自信の程を伺わせた。

「ペニーレインでバーボン」

74年のツアーでは、ひき語りで歌われたこの曲が、バンド形式で収録されている。アルバムの冒頭から、アーシーで透明感のあるバンドコラボレーションでガンガン迫ってくる。(アーシーなんていう形容は、よくジャズとかに使われるんだけど、確かに、このフリースタイルな感じの演奏には、そんな言葉が似合ってる。)

曲調の慌ただしさに加えて、物凄い字余り、そいでもってぶっきらぼうにシャウトしてるので、すごいメッセージソングのようにも聞こえるんだけど「何となく自分だけ意地を張り通して逆らってみたくなるときがあるよね」と、実は、随分、物腰柔らかく語りかけている。あくまでも、なんとなく、である。「皆、皆いい奴ばかりだとお世辞を使うのが億劫になり、中にはいやな奴だっているんだよ」と言いたいところも、「と、大声で叫ぶほどの勇気もなし、とにかく誰にも会わないで勝手に酔っ払っちまった方が勝ちさ」と、ひかえめなのですね。

恋人の顔なんて思い出したくないことだってあるし、テレビ見りゃ政治家がワケわかんないこと言ってる、で、外に出て見たらやけにいい天気で、今の気分じゃねえなー、とぼやいてる。だから、たかだかワンワードだけを取り上げて放送禁止にしたりするのは、なんの意味もない事だと思うけど。そんなつぶやきでさえ、饒舌に転がっていく勢いが、この頃の拓郎には充満していた。

原宿の地価を高騰させ、修学旅行のコースを変更させた挙句、バーボンなんてまずい酒を有名にしてしまった事だけをとりあげても、この頃の拓郎の影響力の凄さを物語っている。

当初、2枚組で発売される予定だったこのアルバム、結局、レコーディングスケジュールの都合で一枚になったものの、「蛍の河」「ルームライト」「地下鉄に乗って」「私」といった曲達が日の目を見ずに、お蔵入りしている。

「蛍の河」だけは、ラジオで流れたので、聞いた人もいるかもしれないけど、なんとかして、レコード化できないものだろうか。この頃の勢いのある、ボーカルのテイクで「地下鉄に乗って」や、「ルームライト」を聞けたら、どんなに素敵だろうね。

ところで、こんなに行数をさいてもまだ一曲しか、終わってないなんていう心配はご無用なのです。今はまだ今はまだ人生を語らずを語らず。というテーマに基づいて、今はまだ語らないのです。

秋のツアーの興奮も醒めやらぬ、11月のある朝、朝刊のTV欄に「よしだたくろう」というクレジットを見つける。

一瞬、目を疑い、それが寝ぼけているせいでもミスプリントでもない事がわかると、もう居ても立ってもいられないわけですね、しかも、番組名を見て、更に驚く。



●Vol.10

11月12日、朝刊のTV欄に踊る「よしだたくろう」の文字。

しかも、番組名は・・・「ミュージック・フェア'74」!?な、何だって~!「ミュージック・フェア」ってことは、弦楽四重奏の「旅の宿」かー?!しかも鈴木杏樹じゃん!きゅ~!ってバック・トゥー・ザ・フューチャーしながら、さらに注意して新聞を見ると、南沙織、かまやつひろしの名前も並んでいる。何!シンシアの前で、シンシアを~?!

ただならぬ情報をキャッチして、一日中、うわの空で過ごす。

春のツアーの後、ムッシュとレコーディングした「シンシア」を7月に発表、そのヒットをきっかけに、この頃、拓郎はTVにもよく出演している。

もう、居ても立ってもいられないわけですから、もう、むりやり夜になります。もう、大サービスだい!時計を進めて、はい、夜の9時30分!

シオノギ製薬のタイトルロゴと、う~た~お~ という怪しいテーマソングが終り、はい、司会の長門夫妻、よろしく!そして、あの、伝説のステージを再現するかのような、前奏が流れてくる。あ!愛奴だ!

「おろかなるひとりごと」が始まっています。下目使いに唇をちょっと尖らせ、マイクを中心に頭を振り、言葉を噛みしめながら歌っています。歌詞カードがあるのに、サングラスを・・・かけてません!2~3行おきにちらっと客席を・・・客席がありません!とにかくもう、めちゃくちゃ、かっこいい、パート2、です。ブラウン管に、ヒーローがいます、コピー&ペーストも、大活躍してます。

僕はてっきり服部さんのきらめくストリングスに乗せた、厳かなアレンジで「人間なんて」が聞けると思い込んでいたので、(思うなよ!)ララーララララ、ラーラーのところは、ほら、あの白いドレスのおねーさん達の透き通る声で、コーラスが入るに違いないと、思うでしょ?(思わないよね。)少し、意表をつかれてます。

1曲目が終ると、やたら照れまくった感じでMCが入る。

「またテレビに出てしまった。」なんていいながら、お客さんもいないのにステージみたいに喋ってる。まあ、TV的にサングラスと帽子を外したのは仕方ないにしても、真ん中にいるのは、いただけないな、やっぱり右端じゃなくちゃね!立ち位置は。それでもやっぱり譜面台はしっかりあって、やっぱり譜面は下に捨ててる。

2曲目の「野の仏」の後、更に照れまくり、シンシアと「春の風が吹いていたら」をデュエット。「菜の花をあなたに摘んであげたいの」と、歌うときには、髪にカールをかけた、シンシアが、拓郎を微笑みながら見つめてる、何か、いい感じ!

そして、4曲目のイントロが流れ始める。

ああ、なんてこったい!このフレーズは、あの名曲「伽草子」!もう、涙が出るよ。シンシアが歌い、「ああ、いいねー、Woo~」のところで、拓郎のコーラス。また、貴重なテイクを聞けたね。そして最後の「シンシア」はムッシュも入って、貴重なスリーショット!シンシアはなぜか拓郎に寄り添うようにいて、ムッシュは途中で彼女を、自分の方にひき寄せるという暴挙に出ています。やっぱり、弦楽四重奏の、「老人の詩」(「あーそれが、ろ~じん」で、白いドレスのおねーさんのコーラス入り)はやりませんでした。(やんないって!)

それにしても、あのステージのメンバーに、又、テレビで再会することが出来るなんてね。神様は本当に悪戯が好きなんだな。

12月10日、LP「今はまだ人生を語らず」が発売されると、ヒットチャートをグングン駈け上って、6週間、トップの座を譲らなかった。12月14日、山口市民会館で、秋のツアーも終る。それから、大晦日には襟裳岬のレコード大賞受賞というオマケまでついて、疾風怒涛の1974年が終る。

※「今はまだ人生を語らず」のレコーディングメンバーで一度だけTBSテレビ「歌謡最前線」に出演、「暮らし」「襟裳岬」「ペニーレインでバーボン」の3曲を演奏した。その時には「ペニーレインでバーボン」を、フルコーラスきちんと歌っていたし、アーシーな雰囲気も充分満喫できた。やればできるじゃん、TBS。



●Vol.11

75年、春。テレビドラマ「俺たちの勲章」が始まる。いつかラジオで聞いた、あの「俺たちの勲章のテーマ」。ピアノと生ギターのシンプルで奇麗なイントロから、はじまるその曲を聞くために、テレビの前に。刑事物のドラマなんて、ありきたりだなー、しかも松田優作って誰だよー、知らねーなー、まあでもせっかくだから、一回目くらい見てあげよう、中村雅俊ねー、「ふれあい」のあの人ねー、刑事って感じじゃないよなー、なんて勝手な事ばかり言って何げに見ている。革ジャン着て、やたら不愛想なおにいちゃんが出て来る。演技も不貞腐れている。72年の12月、NHK歌謡グランドショーに出たときの拓郎よりも、不真面目だ。

あ、そうそう話は逸れるけど、そのNHK歌謡グランドショーに出たときの拓郎の態度がまた、いかしてます。NHKは、初めて出演するアーティストには、オーディションが義務づけられていたにもかかわらず、拓郎はそれを拒否、しかたなくNHKは、レコードでオーディションを通過させた、という事だけでもすごいのに、4曲、15分以上も、あの井上バンドを従えて、しかも、テレビカメラを一回も見ないで、ずっと下を向いたまま、春だったね、やせっぽちのブルース、また会おう、(また会おう、だよ!ゴールデンタイムのお茶の間に向けて、戦争もありふれてる!って歌ったんだよ!下向いてんだよ!歌謡グランドショーだよ!しかも司会は山川静夫アナだよ!)おきざりにした悲しみは、を演奏してます。

トランザムの演奏する、サウンドトラックは、その不良刑事、「松田優作」演ずる、中野祐二のキャラクターにあまりにもマッチして、どんどんそのストーリーにひきこまれて行く。なんだこの、男臭さは。でも、かっこいい!すごい!雪子役の坂口良子は、やっぱり可愛い!

あ、そうそう話は逸れるパート2、だけど、「前略おふくろ様」のサントラも名作でありまして、これがまた、井上バンドの演奏によるものなのです。(作曲も井上さんです。)さぶちゃん(萩原健一)に思いを寄せる、かすみちゃんを、坂口良子が好演しています。

とにかく、一回目の放送が終った時には、松田優作の魅力にすっかりはまってしまい、もう来週が待ち遠しくなってます。

短い春休みが終って、レイ子さんとF君とYちゃんとK君は、高校1年と2年生、僕は中3、つまり受験に向かってまっしぐらの時期に、その伝説のコンサートのチケットが発売される。よしだたくろう・かぐや姫コンサート・イン・つま恋。

74年のツアーの時に固く約束を交した2人(プラス3人)は迷わず、チケットを買う。

6月の、ある日、「あこがれ共同隊」を見ていると、電話のベルが鳴る。レイ子さんからだ。でも何故か、いつもと少し、様子が違う。



●Vol.12

レイ子先輩の電話の声は、全然元気がない。

「もしもし、学校から電話来た?」なんて、急に妙なことを訊く。

「なんで、学校から?」

「コンサート、いく人に電話してるみたいなの。」

「どうゆう事?」

「なんかね、よくわかんないんだけど、青少年の保護条例とかなんとかってのがあるらしいの。」

「え、あの、エッチなことするやつ?」

この大ボケは、青少年保護条例を不純異性交遊とごっちゃにしています。全然、似てないのに。

「・・・?!」先輩はしばらく呆れ果てた後、

「そうじゃなくて、未成年者は夜中に外出してはいけないっていう条例なんだって。」

「な、なんじゃそりゃ~!」松田優作に、かぶれています。

「だからコンサートに行っても、途中で退場するか、できればコンサートに行くなっていうの。」

「でも、どうして、僕達が、コンサート、行くってわかったんだろう?」

「だいたいわかるよ、ギター弾いて、拓郎、歌ったでしょ、文化祭で。」

「あ、歌った。でも、だからってコンサートに行くってかぎらないじゃん。」

僕等は大学の附属の中学と、高校で、校舎も隣どうしで、渡り廊下で繋がっているし先生もその両者を掛け持ちしている場合が多かったので、こういう会話が成立するのです。だから、高校生になったからといって、先輩達が遠くに行ってしまった訳ではないのです。

たしかに、その前の年の文化祭で、体育館に全校生徒が集まる最後のフィナーレで、皆が難しい課題にそった、難解な弁論大会や、クラス対抗の理解不能な芝居をしているのを尻目に、僕等のクラスの代表として、僕は一人でTシャツとジーンズを着て、ギターを持って、フラっとステージに上がり、「ビートルズが教えてくれた」と「春だったね」を歌って、先生のしかめっ面と同時に、全校生徒から、拍手喝采をもらった。きっと、皆、つまらない弁論大会にうんざりしていたんだろう。

「それで、皆で相談したんだけど、君は受験で大事な時だし、先生の心象を悪くしちゃいけないと思って・・・」

「え!じゃあ、行かないの、つま恋。」これは一大事である。

レイ子先輩は、「あこがれ共同隊」なんて、もう見ない!なんて、論旨を、勝手に変更している。青春は、時として、命題を超越し、物凄い結論を導く事がある。

僕は、結局、つま恋に行く事を断念した。理由はよく解らない。面倒くさくなったのかもしれない。後日、担任から電話があった。母親が電話に出て、僕がコンサートに行かないという旨を伝えた。レイ子先輩以下、高校生組は、途中退場を条件に、つま恋に臨んだ。

8月2日、チケットを目の前にして、複雑な思いがあった。深夜、耳を澄ますとコンサートの喧騒が聞こえてくるような気がした。

こんな時、たよりになるのはラジオなんだ。僕は月曜の深夜1時を、待った。



●Vol.13

番組が始まり、ゲストの泉谷しげるが、コンサートを終えたばかりの拓郎を、気づかうように、(これは珍しい出来事だね。)つま恋のテープをかけていく。

聞きなれた、「俺たちの勲章のテーマ」のイントロが流れ始める。

トランザムをバックに、あゝ青春。この年に何度も耳にした、メロディー。このメロディーを聞くと僕はいつでも、1975年にタイムトリップできる。

ラジオでは、2週間で、26曲が、紹介された。その日拓郎が歌ったのは、全部で59曲。半分にも満たないんだけど、それでも、充分にその雰囲気を感じ取る事ができた。ラジオから流れる音を聞いて、イメージを思い浮かべる事は、楽しい作業で、実際に体感する感動とは確かに違うけれど、自由自在にイメージをクリエイトできる本当にワクワクする時間だった。たとえば、FENから流れてくると、普段聞きなれた「アメリカの歌」が、すごく心に響いてしまうようにね。クリアーなFMよりも、少しサスティンのかかったような、ピーピーガーガーの、中波の音が、大好きだ。

後に、写真集や映画やビデオなんかで、ビジュアルもイメージできたけれど、ラジオにかじりついて聞いた、あの感じが、僕の永遠の「ラジオデイズ」なのです。

夏休みが終って、9月1日、日焼けした顔で学校に向かう途中、曲がり角のところで、もっと日焼けした顔のレイ子先輩に出会う。なにやら、紙の包みを持っている。

「これ。」なんていいながら、紙の包みを持って、何か言いづらそうにしている。

こ、これは、きっと愛の告白!その日がついに、やって来たんだ!なんて、勘違いはもう懲りていますので、するわけがなく、

「なに?これ。」と、さすがに学習の成果を生かし、クールな対応。

「つま恋・・・。」

「つま恋?」受け取った、紙包みを開けて中を見ると、カセットテープが5、6本入っている。

「つま恋のカセット!?」

「全然、音、悪いんだけどー。」

「先輩、もしかして、会場で、録音した?でも、どうしてこんなに・・・??」

「結局、最後まで見ちゃったの。で、その時知り合った人が貸してくれた、テープ。」

「な、なんだってー!最後までって事は、朝までいたのー!」

「・・うん、だって、あんな、夜遅く帰る方が、よっぽど危ないって、皆、言うし。」

な、なんてこったい!しっかり、朝までいっちゃってます。しかも、お友達、沢山増やした上に、カセットのおみやげ付きです。

これが、義務教育と、高等普通教育を受ける、立派な方々との大きな壁なんだな。渡り廊下で繋がっていても、やっぱり、凄いゼ、コーコーセー。僕も、一生懸命がんばって、偉大な、先輩達を見習って、立派な、高校生になりまーす。と、心に誓う。(わけがない。)

で、家に帰って、テープを聞いてみる。なんだか、がやがや騒がしくって、歌なんて聞こえやしない。朝までやるぞ~!という、拓郎の声にも、「本当に~?」なんて、ゲラゲラ笑っている奴はいるし、「ねえ、お菓子、まだある~」とか、全然、やる気ないじゃん!な、なんじゃこりゃー!と、また、優作モードに。

で、知ってる歌は大合唱で、拓郎の歌なんてちっとも聞こえないし。どうやら、先輩達は会場の後の方だったみたいで、「聞こえなーい。」とか、「全然、小さくて見えなーい!」なんて勝手な事言ってます。僕がラジオを聞きながら、頭の中に描いていた映像を、木端微塵に打ち砕いて、ほろ苦いラジオデイズに、花を添える。

伝説の裏側には、本当に、いろんな事が、あるのです。

でも、8月2日、22時30分、青少年条例に基づいて会場を後にした、400人の勇士達。君達は、本当に偉い!(ま、中には、本当に眠くて、家に帰った人もいたりして。)

1975年の熱い夏は、75000のそれぞれの物語を刻んで、流星になって、いつまでも輝き続けるのでしょう。

9月21日、日曜日。またしても、TV欄に、吉田拓郎の文字。でも音楽番組じゃない。「90分ドラマ なつかしき海の歌」。となりには、浅田美代子の名前も並んでいる。



●Vol.14

90分ドラマ「なつかしき海の歌」は、9月21日の日曜日の夜に放送された。

以下、大まかな、あらすじ。

           *     *     *

佐伯ひさえ(浅田美代子)は、タレントの卵。何度も、何度も、オーディションを失敗して、ついに「なつかしき海の歌」というドラマに出演のチャンスをつかんだ。

吉田拓郎、扮する下沢はじめは、テレビ局のA・D 。テレビの仕事に失望し、局をやめる決心をする。「なつかしき海の歌」も、担当している。

ドラマが、緊急特番のために急遽、差し替えられることに。たったワンシーン、2分たらずのカットでも彼女には大問題だ。

そんな彼女を、不憫に思ったはじめは、特番に使う予定の、特ダネの入ったテープを盗めば、ドラマは放送されるだろう、と考え、二人で、テレビ局に行き、テープを盗んでしまう。予定通り、ドラマは放送される事になったが・・・

(脚本:山田太一 出演:吉田拓郎 浅田美代子 加山雄三 香山美子 他 )

           *     *     *

例によって拓郎は、全然、山田太一の演出の趣旨を理解せず独自の演技に走ってる。あの頃は、それでも拓郎、かっこいいー!なんて思っていたけど、考えてみれば、「ふぞろいの林檎たち」の山田太一なのだ。きっと、もっと、こういう感じで演技して欲しいのになあ、なんて思っていただろう。それでも、「じゃあまたね」の作曲の仕事以来の再開で、二人が急接近したのもうなずけるね。

9月25日、フォーライフ設立後、拓郎としては、初めての、シングル盤、

「となりの町のお嬢さん/流れる」が、満を持して、発売される。

A面のポップな仕上がりは、「春だったね」以来の快挙だ!松任谷正隆のアレンジが冴えまくってる!フラットマンドリンも、アコーディオンも、ペダルスチールも、カントリーフレーヴァー満載。二人で恋の汽車ポッポ~ なんて、洒落っ気もたっぷり、でも、この曲の一番の聞かせどころは、ゆれ~て~るよ~、で裏声にひっくり返る、ここなんだなー。この裏声が、めちゃくちゃ好きだ。でもつま恋では、失敗してる。

「たどり着いたらいつも雨降り」の、それでも~や~っぱり~、

「こっちを向いてくれ」の、とても~こまるんだ~、

「伽草子」の、ああいいねー、ウ~ウウ~、

「花酔曲」の、ああ~生き~ている~ と、裏声シリーズは、絶好調です。

でも、つま恋では、全滅です。

こんな歌を、ずっと、待っていた。最後のほろ苦いハーモニーも、最高に哀愁を漂わせている。

B面は一変して静かな、曲調で、熱い感情を押し殺すように、歌いかける。

何かを示唆するかのように・・・。

73年から、ずっと疾走し続けた、ほてりを癒すように・・・。

       今は黙って風の音を聞け 今は黙って水面に浮かべ

       今はただ 静けさを愛せばよい

その暗示的な歌を聞いた、4日後の9月29日、オールナイトニッポンで、拓郎は、突然、離婚を発表するけど、僕はこの「流れる」という歌のテンションが、その日の拓郎を象徴しているような、気がするのです。



●Vol.15

突然の離婚発表で、オールナイトニッポンの月曜日も降番、また、貴重な情報源を失って、僕等は町をどこまでも彷徨い続け、日増しに目つきが悪くなり、今度こそラジオをコンクリートの壁に叩き付け・・・でも勿体ないから、やっぱりやめよう、と思案を重ねている、1976年、3月。受験は、なんて事なく、終り、僕は、高校に入学。そして、渡り廊下で繋がっていても、いつも感じていた大きな壁を、越えて、少し、大人になったような気分の、その春休みに、ヒーローは再び、ブラウン管に帰ってきた。

2月26日からニューアルバムのレコーディングを開始、3月23日、終了。

25日、フォーライフ第2弾となるシングル「明日に向って走れ/ひとり想えば」発売。

3日後の3月28日、日曜日。夜、7時30分。TBSテレビのセブンスターショウのおおとりを飾り、松任谷正隆グループをバックに、「吉田拓郎リサイタル」が始まる。

いきなり、「春だったね」で幕を開ける。

「いつか人に書いた歌も、僕のところへ戻ってくる」とMCが入り、

「襟裳岬」の途中、「日々の暮らしは嫌でもやって来るけど・・・」

その後の歌詞を忘れて、やり直したりしてる。歌詞カード、しっかりあるのに。

歌詞カードを見ながら歌うと、その度に新鮮だ、とMCが入る。(間違えたのに~)

「まにあうかもしれない」が終り、72年の12月、NHK歌謡グランドショーに出たときの、不真面目な態度とは比べ物にならないくらいに笑顔で、カメラに話しかけている。今日は凄く調子が良い、なんていいながら、「知識」。

「ガラスの言葉」「花嫁になる君に」と弾き語りに続き、

「結婚しようよ」では、終始照れ臭そうに、茶化したように歌っている。

フォーライフの新人第一弾、川村ゆうこと一緒に、「風になりたい」を。

「寒い国から来た手紙」

泉谷しげるのこの曲を、拓郎流に仕上げている。所謂、レア・トラックス。

「三軒目の店ごと」では、コーラスの陣山さんに文句をつけて、着替えさせてもう一回やっている。テレビで拓郎がこんなにリラックスして歌を歌っているのはかなり珍しい。そして、

「蒼い夏」「祭りの後」「ひらひら」「僕の唄はサヨナラだけ」「落陽」と、

おなじみのナンバーが、ズラリ並ぶ。

15曲を、心の入った、歌と演奏で、聴かせてくれた。



●Vol.16

オールナイトニッポンのパーソナリティーを拓郎が降りてしまってから、僕らは何かポカンと心に穴があいたように過ごしていた。いや、僕も僕なりに忙しい青春をおくっていて、友人と交す拓郎の話題も少しずつ減っていったのかもしれない。

オールナイトニッポンで、新しいLPを本人の解説付きで発売前に全曲聴いたりすることもなく、ただ、アルバムの発売日を待ちわびた。

1976年5月25日。ニューアルバム「明日に向って走れ」発売。

兵庫、神戸国際会館から始まるツアーもこの日が初日。

フォーライフレコード設立後、拓郎にとっては第一弾のアルバムとなる「明日に向って走れ」は、切なさが溢れている。冒頭の「明日に向って走れ」は、シングルで先行発売されていたので(ちなみにシングルは「ひとり想えば」とカップリング、178,000枚を売りあげている)LP収録の時点ではある程度認知されていただろう。個人的な「離婚」という、本人にとっては、重たいテーマを前向きに消化させている。新しいフォーライフでの旅立ちとなる、初アルバムで「別れ」を歌う。伽草子のアルバムで、修復した、長い雨の後の、静かな抱擁は、ない。ちなみに歌詞では「あ~した~にむかってはしれ~」と歌っているんだけど、タイトルには「あすにむかってはしれ」とルビがふってある。

「一つの出来事」

静かな別れの風景と、何かを決意するかのようなテンションの歌に、ついつい聴きいってしまう。

「水無し川」

かまやつひろしに提供した曲を自らLPに収録している。でも、これはムッシュのバージョンの方が秀逸。あのオケで、拓郎のボーカルで聴いてみたいと、思っていたら、1996のツアーで、あのイントロが流れてきて、ちょっと懐かしい感じがした。「花祭り」を思わせるフラットマンドリンのフレーズと、松本隆の言葉とくれば、確実に「心の破片」に繋がっていく。

「僕の車」

この曲を聴くと「たくろうの気ままな世界」でやっていた頃の、たくろうのショートショートを思い出す。短いけれども美しいメロディーに溢れていて、僕はこのアルバムの中では、この曲が、実は一番好きです。ある日トノバン(加藤和彦)のオールナイトニッポンで、弾きすぎだと指摘されてた、駒沢裕城のペダルスティールもこの曲に関しては、優しく、美しい。共鳴レックスの「僕らの旅」に味をしめて、自分からシビックの曲を作ってHONDAから依頼されるのを待ってるんだけど依頼がこない、とツアーのMCで語って、爆笑を誘っている。拓郎は弾き語りが最高だという人がいる。「落陽」の高揚感こそ拓郎の真骨頂だという人がいる。でも「僕の車」のような、洒落心がある、そういう歌に、他のアーティストにはない、ある卓越したセンスを僕はいつも感じ取るのだけれど。

「僕の車」が、「待っている」なんていう表現に、車に対する愛着を感じるし、彼のチャーミングな、ボンボンみたいな、素顔が見えてくる。

「我が身可愛いく」

「僕の車」の次がこの曲である。この落差がすごい。アレンジはおそらく、当時絶賛していた、泉谷しげるの「眠れない夜」を意識したものだと思うんだけど。生々しい言葉がブルーなフレーズと共にシャウトされて、拓郎の心の傷とストレートな怒りが否応無しに伝わってくる。その圧倒的な重さは、このアルバムのトーンを決定づけている。でも僕は、大体この曲は、飛ばして聴いていた。

「どうしてこんなに悲しいんだろう」

この曲をもってくるあたり、この頃の拓郎のまどろみを感じずにはいられない。トノバンのオールナイトニッポンで「なんでまたこの曲を今さら?」と聞かれて「やり直してみたかった」と曖昧に答えていたけれど、アルバム「人間なんて」のディレクター兼アレンジャーにそんな事聞かれたら、確かに答えづらいね。感情を抑えたようなボーカルが、アルバム「人間なんて」のバージョンとは違う、時の流れを感じさせる。

「我が家」

拓郎がこだわる「ファミリー」の原点をみることが出来る様な気がする。

「風の街」

いわずとしれた原宿シリーズのひとつ。さて、原宿シリーズは、あと、何曲あるでしょう?「ペニーレインでバーボン」「乱行」「街へ」は勿論の事、「午前0時の街」や「三軒目の店ごと」もあやしいし・・・えっと、もう一つ「ペニーレインへは行かない」・・・

「午前0時の街」

「三軒目の店ごと」や「ペニーレインでバーボン」の様なお酒の歌。理想の「酔っ払い」の形式を提示している。もう、様式美と言ってもよいな、これは。「可愛い君を誘ってみよう、闇にまぎれちまえ・・・」なんていうのは、ある意味、凄くピュアですよね。

「ひとり想えば」

この曲は、レコードでは、あんまりピンとこなかったんだけど、ライブで甦った。

「明日の前に」

堺正章に提供した曲をとりあげている。結構この頃の心情とマッチして、ついつい神妙な感じで聴いてしまう。

「悲しいのは」

このアレンジだけは、いただけない。この曲はスタジオでレコーディングすると、ライヴ感が出ないので、レコードにしたくない、と、ラジオで言っていた意味がよくわかる。もう何といっても74年ツアーのシンプルなテイクで聴きたい。「私」というオリジナルタイトルのまま、CBSソニーに眠っている音源を、ぜひ聴かせてください。お願いです。



●Vol.17

アルバムを聞いて感動したらしく、同級のタカシが、拓郎のコンサート、一緒に行こう。なんて、言う。「あ~した~に~むか~ってはしれえ~」と、同じところを、繰り返し歌っている。

この頃は、拓郎の歌が、いつも身近に僕らの周りに流れていたし、レコードを持っていなくても、皆、拓郎の曲を何処かで聞いて、知っていた。でも、時代は変わる。

1976年のツアーを、見にいく。学校の帰り道、タカシも僕もやけにハイテンションで、下らないジョークを連発し、会場に向かう。高校生になると、話題は、ほとんどおねーちゃんの事になる。その中で唯一、彼が、熱っぽく語った映画の話。

「がんばれ!ベアーズ」の面白さを、本当に一生懸命に、僕に聞かせてくれた彼を、印象深く思い出してしまう。その「がんばれ!ベアーズ」をヒントに、二十年の歳月を経て、浅野温子主演の「コーチ」というドラマになって、お茶の間に登場するなんて、その時には、想像もつかなかったけど。天才は、忘れた頃にやってくる。

その頃の僕は、イーグルスや、ドゥービー・ブラザーズ、リンダ・ロンシュタット、カーリー・サイモン、ジャクソン・ブラウン、リトル・フィートといったアサイラム系や、スティーブ・ミラー・バンド、デレク・アンド・ドミノスなんかの、白人ブルース系のバンドがお気に入りで、よく聴いていた。ロック喫茶なんてのも、この頃知って、土曜の夜になると、朝まで大音量の JBLを鳴らす、その店で、アメリカ直輸入のロックを聴きあさっていた。アサイラムのほとんどのレコードに、サポートメンバーとして、名を連ねるミュージシャン達が、二十年の歳月を経て、拓郎と一緒にレコーディングするなんて、その時には、想像もつかなかった、パート2だけど。

クレイグの弾く、アコースティック・ピアノが心地よい、ジャクソン・ブラウンの「ロック・ミー・オン・ザ・ウォーター」を、ぜひ、聞いてみて下さい。(ちなみにこの曲はジャクソンブラウン・ファーストと言うアルバムに入ってます。リズムセクションは、リー・スクラー、ラス・カンケルのコンビが全編にわたりサポートしてる、まさに1995~96の贅沢なツアーをご覧になった方へのお勧めの一枚なのです。)

会場についても、僕達のテンションの高い無駄話は止まらず、遠いアメリカの国へ、思いを馳せたり、会場の女の子を物色したり、忙しいのです。

突然、「ひとつの出来事」のイントロが始まり、会場は拓郎コールの嵐に。

幕は開かない。テープの音が、流れている。

       時の流れを知る人と 乗り遅れたうすのろだから・・・

なんていうフレーズが、妙に心に響く。遅すぎることはない、早すぎる冬よりも貨物列車は行け、風を切って進め、と、人生を語らずに、走り続けた男が、

少しだけ、立ち止まって、少し、人生をふりかえっている。

「ひとつの出来事」が終り、パーカッションでつないだ後に、「春だったね」のイントロが始まる。幕が開く。ヒーローはいない。右端にもいない。

4章節終った頃、やっと、ステージに現われる。背中を少し丸めて、ステップするようにマイクのところまで歩き、ひょいとギターを持ち上げ、ストラップを肩に掛ける。よく見ると、髪の毛が少し、短くなってさっぱりしている。サングラスもかけてない。

なんかちょっと、調子くるっちゃうな・・・聴衆にさえ、迎合せず、俺は、お前等のことなど、知っちゃいない、とばかりに、太々しいまでにシャウトし続けた、あのスタンスは、影を潜めた。

1973年とは、明らかに、何かが違う。

年齢や、経験とともに少しづつ、変化していく、そんなヒーローを、見ていた。

ターンテーブルの上のレーベルの色も、オレンジ色からクリーム色に、それからブルーへと変化した様に。時代は変り、ヒーローだって歳を重ねる。

そして、僕らも、少しくらいは、大人になったのかもしれない・・・



●Vol.18

TBSテレビのセブンスターショウでオンエアーされた曲が中心になって、ステージは進行する。つま恋、セブンスターショウに続き、松任谷正隆グループがバックを務める。「結婚しようよ」の時、松任谷さんがアコーディオンを弾く、となりでピアノを弾いている、スペシャルゲストが紹介される。ユーミン。この年、荒井由実は松任谷由実になったんだね。

J-45を弾きながら、弾き語りで、こうき心 ガラスの言葉 さすらい日本

花嫁になる君に 旅の宿 ある雨の日の情景 蒼い夏 いつもの街灯り

僕の唄はサヨナラだけ、と続く。

J-45を加藤和彦から譲って貰ったおかげで、離婚した、なんて言ってる。

「花嫁になる君に」の、プリングオフや、ハンマリングオンが、小気味良い。

「蒼い夏」では、僕は平凡な、愛妻家~に、なりたい!なんて、字あまりで付け足している。女の子ってやっぱりいいな~のやっぱりを、やっぱり、強調して、会場の爆笑を誘っている。

会場から、三十男!なんて、ヤジも飛び出す。

熟成した歌の数々。そつのない名演奏。つまり、ちゃんとしている。でも、愛奴みたいな荒削りなバンドもかっこよかったな、と思う。

後日、オールナイトニッポンで、拓郎をゲストに、アルバム「明日に向って走れ」の曲を聴いて、全部同じ傾向のサウンドに聴こえる、と加藤和彦が、ラジオで指摘していたのが印象深い。それはつまり、ペダルスチールの音が、その印象を、決定づけているんじゃないか、と。

拓郎のアルバムにはいつも、秀でて、特筆すべき楽器がある。

人間なんての12弦ギター。元気です。のフラットマンドリン。伽草子のキーボード。LIVE'73の場合は、ストリングスか、ブラスセッションに気がいくんだけど、実は、あのバタバタの田中清司のドラムなんだな。で、大いなる人は、鈴木茂の、独特のエフェクトのかかったギター!


さてと、

長い間、ご愛読いただきました、「伽草子を聴いた日」から始まったこのシリーズも、今回をもって、最終回とさせていただきます。皆様、どうもありがとうございました。

気まぐれに始めた事なのですが、寸断されていた記憶を繋いで、たどっていく事は、時には、面倒くさく、でもやっぱり、心ときめく、凄く楽しい時間でありました。

伽草子をはじめて聴いた夜、レコードを何度もひっくり返して、繰り返し繰り返し聴いた、あの日の事。僕のラジオデイズを華麗に彩る、珠玉の歌たち。

ああ、なんて一杯のドラマが、頭の中に。

そして、

1976のツアーも、最後のアンコールの曲、「悲しいのは」が始まっている。会場の手拍子にのせて、気持ち良さそうに、シャウトする。全ての歌を歌いきって、後奏が続いている。ギターをはずし、観客に、軽く手を振りながら、ヒーローは言う。

「皆、元気で、サイナラ!」


- 完 -

70年代のアサイラムレーベルやマッスルショールズ、ブリティッシュ方面と聴き進めていて、エルビスコステロのマイエイムイズトゥルーという名盤を聴いてるうちにやっぱりAlisonという曲は良い曲だなあとつくずく思う。ホリーコールもカヴァーしているけど、ホリーが歌っても、ジャズではなくてロックなところがすごい。これは美大時代に友人が貸してくれたマクセルの90分のカセットテープにテレヴィジョンのマーキームーンとカップリングで「マイエイムイズトゥルー」のアルバムごと収録されていて、どちらも繰り返しよく聴いた。

そういえばラジカセが全盛の頃、RECとPLAYを同時にガチャっと押し込む時の快感、テープがなくなりそうになると窓から残量を頼りなく見つめてたのも懐かしい。カセットテープ代だって安くなかったので、いかにテープの残量を無駄なく録音するか、というような事が結構重要だったりした。

そんな時代に彗星のごとく登場したソニーのデンスケという機種は高音質な生録ができて、これが同じカセットの音か?と思うくらいに、すごかった。今やデジタルになり、DATの時代からPCMに・・・でも、デンスケのあのアナログ故の迫力にはなぜか敵わない気がする。よく先輩がコンサート会場で録音したという音を聴かせてくれた。(当時はまだ、カセットの持ち込みなんかがまだゆるかった・・・まあ、良い時代でありました)あの頃に聴いたいろんな音源がロックの楽しさを教えてくれた。ライブではそういう時代の雰囲気までも伝えることができるといいんだけど。

僕がまだ名古屋で高校生だった頃。ロックやジャズやポップスやフォークソングやアメリカの香りをいつも感じさせてくれた音盤は「ATOM」という伝説のロック喫茶にあった。アサイラムのアーティスト、ジャクソンブラウンやカーリーサイモンやジェームステーラー、ドゥービーやイーグルス、マッスルショールズのいなたいセッションもここで大音量で聴いていた。ジャズに興味が行く前はここで音楽を聴く時間がかけがえのない青春のひとときでありました。アトム、また復活してくれないかなあ。

石川橋のバス停から歩いて15分くらい桜山の方に歩いて右に路地を入ると雰囲気のあるウッディなドアが見えてくる。店内はレンガが印象的で、JBLのスピーカーが店のイメージを決定づけていた。いつも大音量のアメリカンロックをLP片面分かけていた。スティーブミラーバンドの「ペガサスの祈り」を初めて聴いたときの衝撃は今でも忘れない。

東京に来てからはそこに行く事は滅多になかったけど、後に栄にもお店ができたと言うから行ってみたら、同級生の女の子がバイトしていて驚いた。その人は今や信じられない程の有名人だけど。

その頃僕はバンドばっかりやっていて、デモテープを作るのが楽しくてさ。

今日、昔の音源を整理していたら「石川橋」の事を歌ったデモテープが出てきた。いや~コッパズカしいな~と思いながら、聴いていたらそれなりにアナログなカセットテープレコーダーで一生懸命作った感じが懐かしい。

コメント

面白いことだけ考えていたいけど、案外思うままにならないことも多いから・・・

せめて日々の暮らしの中の時間ひとつひとつを好きな事に捧げたい。

音楽とデザイン。ギターと歌。ジーンズとデザートブーツ。好きなものを二つずつ繋げると、とてもはっぴいな気分になる。「ホーボーのカセット」はじめてみます。どこに向かって、どこにたどり着くかもわからない。あてのないジャーニー。それも人生。